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40:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2005/12/03(土) 03:42:38 ID:5X1y0U0L0
シュレディンガーのネコってのは半分いきてて、半分死んでる。
これは確定的なことではない。
逆に言うと、人間だって同じことなわけだ。物質でできてるんだから。
じゃあ人間にもこれを適用すると、人間も複数の状態の重ね合わせで存在することになる。
猫は、「生きている状態」と「死んでいる状態」が重なり合って、
同時に存在しているんだから、それをそのまま人間に適用してやれば、
人間も、「生きている猫を見ている状態」と「死んでいる猫を見ている状態」として、
同時に存在していることになる。
これが多世界解釈
44:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2005/12/03(土) 03:44:27 ID:5X1y0U0L0
もじぴったん。もじぴったん。ケセラセラウララ
45:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2005/12/03(土) 03:45:04 ID:81gmpItF0
>>44
たった4レスで何がお前をそこまで変えてしまったんだ
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えーと、ケセラセラ→なるようになるさ?
箱を開けて観測した瞬間に波動関数が収縮して
猫の生死が確定するんだから
「生きている猫を見ている状態」と
「死んでいる猫を見ている状態」は
同時に存在はしてないんじゃないか?
とマジレス
40の、『半分生きてて半分死んでる』っての読んで、
正にゾンビな猫か?って思った。
半分の確率で生きてる又は死んでるって書いてあればね…。
確立が半々ってだけ?
脳の神経が焼き切れてしまったんだろう…
ですがどうしても私には神がサイコロを振るとは思えないのです。
ルイズルイズルイズルイズルイズルイズぅうううううう
はこのふたを開けてみるまで猫が生きてるか死んでるかわからないってだけでしょ?
わからないと思う観察者がいるだけであって、その箱が透明だったら様子がわかるわけだし
死ぬって事象は他者から認知されることによって確立される、って前提でやってっからさ。
だからこの場合、そのもの自体が死んでるか生きてるかよりも、それを他者が認知できるかできないかが大事なんだお
なんか同じこと言ってんなオレ
ケセラセララララ
それが管理人の狙いかもなwww
畜生! 俺も釣られた!
つまりイデア理論でSC空間でカレイドフェノムなんですね、わかります
わかるやつ挙手
生きている状態と死んでいる状態が重なってるって考えるのはコペンハーゲン解釈じゃね?
多世界解釈だと猫が生きている世界と死んでいる世界があると考えるから重ねあわせではない
ここ読んだら、大体分かる。
「一時間に50%」と言うのがややこしくしている。
30分間出すわけでもなく、一秒ごとに50%の確率でもなく。
「何時出すか」が分からない。
コインは投げて落ちるまで裏か表か分からない。
ならば、表(裏)の結果が出ることは何処で最終的に決まるのか?
投げた瞬間か、地面に落ちてバウンドする瞬間か、コイン自体の表裏の比重差か、或いはそれら全部が絡み合った結果か。
結果を見るまでは裏も表も50%ずつの確率。
「実際は何処かでどちらかになる要素が加わって片方が100%になっている」はずなのに表裏が確定するまで1:1のまま。
一度投げたら落ちて確認するまでは裏であり表である。
ぴったんぴたぴたもじぴったん!ワン・ツー!
天文学科の俺としては、観測に自分自身の認識とかエゴみたいなもん入れたくないなあ。
シュレーディンガーの波動方程式では物質波の収縮が説明されていない
それまでは「でも収縮してるし何か未発見の理論が働いているんだろう」という考えが主流だったが
当時大学院生のエヴァレットが方程式にない収縮はやはり起こっておらず世界そのものが分裂していくならつじつまは合うという解釈を提唱した
それが多世界解釈
観測技術の向上に任せるしかない。
違う
ミクロである量子の状態がマクロである猫に直接影響を与えるという環境を整えた時(思考実験では真空の箱の中に一個の水素と水素検出器を置き検出器が水素を検出したら毒ガスが発生するという状況を仮定した。)
当時の量子論はミクロとマクロに線引きをしてミクロ世界の挙動はマクロ世界には適用されないと考えていたが
この実験を行えば否応なくミクロとマクロは直結し半死半生の猫という「ありえない存在」ができてしまう
「だから今の量子論は間違っている」という指摘
元々は量子論への反論だったというのは覚えておいてもらいたい(但しシュレーディンガーは量子論を全否定したのではなくあくまで当時の理論の発展方向が間違っていると主張したかった
つっこみどころいっぱいな気はしてるんだが。
波動方程式めっちゃやってたのに、なんだあのときの苦労は、何も役たたない
すなわち
こんな理屈は生活の役には立たないぞ
人間側に立った結論
それだけ。
ぴったんぴったんもじぴったんうわんとぅぅぅ!
簡単に言うとクソワロス
コペンハーゲンでも多世界解釈でも
重ね合われせは正しいと思うyo
まぁ量子力学反対派の考えた
シュレティンガーの思考実験だから・・・
量子力学がわからりずらくなってるとオモタ
っうぇwっうぇwww
最近のブーム(量子力学、ひも理論)では、
神様はサイコロ好きらしい
アインシュタインは死ぬまで否定してたらしい
けど・・・
>>11582
そういうことが言いたいじゃなくて、
観測されたとき「粒子」
観測されていないとき「波」
その思考実験がこれ
その光を見ると、その星が今存在しているかのように思える。
でも地球で私たちが見る光は、何億年も前にその星から出た光を地球上で観測しただけであり、
観測できたからといって今、その場所にその星が存在していることの証明にはならない。
星は爆発して消えているかもしれないのに、それが観測できるのは何億年もたってから。
ところで、人が夜空の星の光を見られるのは、その光が私たちの目に届いていて
目の神経がそれを関知しているからだと、一般には思われている。
が、これは間違いである。
もし目の神経に光の粒が直接ふれたことではじめて光が目に見えるのなら、
もしも何億光年も先にある光が地球にまで届いたとして、地球上に50億人の人がいたら
光の粒を観測するには、光の粒が50億個は必要。
動物が50億匹いれば、さらに50億粒の光。
観測機器が50億個あれば、さらにって50億粒の光が必要になる。
しかも星は何万個もあるわけだから、毎秒150億個×何万個もの光の粒が必要になってしまう。
そんなに大量に地球に届いてますか?
中略
目がものを見るときは、遠くにある光の粒に神経が共振するような形で見えている。
目の前には何もないのに目の神経が勝手に作動し、見えているという情報を脳に送り、見える。
つまり、光の粒が目にとびこまなくても、ものは見えるということ。
結論、私たちは見えないのに見ることが出来るのだから、
見えないはずのものが見える霊視もあり。