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317 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2008/09/20(土) 23:10:01 ID:L/GONMDT
模型つかプラモの世界はよくしらないけど5,6年前だったと思うけど、
うちにいた下宿外人が「これよんでよ!」って 田宮模型の社長の自伝の本をもってきた。
本は日本語が読める誰かが購入したみたいだけど、読んでといった人は日本語会話はかなりわかるけど、あまり読めない人。
よくわからないからということで音読。
最初は家族の誰かが一日1章位を一人だけに音読。
でも、それを聞きに来るマニアもいて、朗読会みたいな事を何度かした。
内容は当時流行したプロジェクトXみたいな内容で
多分、「田宮模型の仕事」っていう本だと思う。(さっきぐぐった)
F1の資料がないけど、タイヤの溝まで再現したとか
どこかの国で戦車や戦闘機が野ざらしになってるところをちゃんと博物館として建物の体裁整えたりとか
戦車の裏側まで拘るとか たしかに、すごく面白い内容だったから、日本人も読め。
で、そのマニアなガイジンによると。
アジアはしらないが少なくともG7に入っている国のプラモデルの最高峰は日本で
アマチュアのテクニックやら手法も日本人のテクニックが最高峰。
ジオラマでも第二次世界大戦のなにかをどうかすると日本人の作ったものは素晴らしくfeelなんかで。それは~~と長く語られた。
プラモデルを作成するための下ごしらえは、日本のテクニックが世界の職人の標準化されたっていってた。
私にそれを教えてくれた人は「彼ら(の恩人)はjapan(漆塗り)をつくるようにそれらを作る」と言っていたよ。
372 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2008/09/21(日) 12:46:44 ID:Wpvl12K7
タミヤが救ったF1チームとはティレルのことかな?
30年ぐらい前の話でまだ日本ではティレルがタイレルと呼ばれていた頃に
ティレルは社運をかけて前輪4輪・後輪2輪の6輪F1カーを投入した。
投入初年は1・2フィニッシュで勝ったレースもあったけど、翌年はタイヤの問題などで低迷し
結局は2年間しか6輪F1カーがコースを走ることはなかった。
タミヤはこの6輪F1カーのプラモデルを販売する時にロイヤリティーを支払って
限りなく本物に忠実なプラモデルやラジコンを販売し、本家の6輪F1カーが実戦から退いた後もタミヤの6輪F1カーは人気が続いた。
そしてプラモデル&ラジコン人気からF1で低迷し続けたティレルにもスポンサーがつくようになった。
419 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2008/09/22(月) 08:42:25 ID:Hh+bbiqu
>>372
一時期ロータスだかのスポンサーに田宮がついたことがあって、のちに田宮がスポンサーをおりたあとも
当時のチームの苦境を支えてくれたことへの感謝から、田宮のステッカーを車体に貼っていたとか。
« パパに飛びつく子供 l ホーム l がんばれ街の仲間たち »
144の航空機ばっか作ってて疎遠だが
たまには此処の72もかってみるかな。
外国の奴はパーツ自体が曲がりまくってるけど
タミヤでそれを見たことが無い
まさに最高峰と呼ぶに相応しい
羨ましいだろうな
最近は中国勢に押されまくりであんまり輝いてないような。
でもほんとに凄い仕事してきたし、それがいい時代だったのは確かだね。
子供の頃、合体メカやアトランジャーにはお世話になりました
もっといろんなエピソードを詰めてまた出して欲しい
F177(いわゆるステルス)だっけ?
「見えない戦闘機」っていう噂だけが一人歩きしていたときに
他のメーカがSF丸出しの予想モデルを発売した中で
タミヤだけが実機そっくりに作ったって言う話じゃなかったっけ?