107 名前:優しい名無しさん[あげ] 投稿日:2009/04/15(水) 23:52:52 ID:g3bcFRDC
そして、子供に会うとアメ玉をやり、仕事の合間には病気の人のお見舞いをし、励まし、祈り続けました。
彼は雨の日も、風の日も、雪の日も休むことなく町の人達のために祈り、働き続けました。
彼は「でくのぼう」と言われながらも最後まで愛を貫き通したのです。
そして、1926年に彼は内村鑑三に招かれて、花巻を去って東京に引っ越すことになりました。
花巻の地を離れる日、誰も見送りには来てくれないだろうと思って駅に行くと、そこには、
町長をはじめ、町の有力者、学校の教師、生徒、神主、僧侶、一般人や物乞いにいたるまで、身動きがとれないほど集まり、
駅長は、停車時間を延長し、汽車がプラットホームを離れるまで徐行させるという配慮をしたというのです。
実はその群衆の中に若き日の宮沢賢治もいたのです。
それは、彼が「御心がなりますように」と祈り、神様の御心に従った強い信仰と、どこまでも人々を愛し続けた愛の業がそうさせたのだと思います。
この人こそ、東に病気の子供あれば行って看病してやり、西に疲れた母あれば、行ってその稲束を負いという宮沢賢治の詩にあるようなことを普通にやっていた人でした。
そういう宗次郎の生活ぶりを見ていた、宮沢賢治が、「こういう人になりたかった」という思いを込めて、「雨ニモマケズ」という詩を書いたのではと言われています。
偉いんだろうけど・・・
ここまで宗教に狂いたくはないな
迫害を受けている人間が希望を捨てないために信仰に頼るのは解るけど、敢えて自らを危険に晒すのはどうかと思う。
まぁ、宗教もなにも無しに人に優しく出来る事が一番良いよね。
ましてや自分を産んで育ててくれた親を犠牲にしてまで布教にいそしむのがキリスト教の教えかね?
他人にキリスト教教えてる暇あったら家族のこと考えようぜ。
時代柄か?
私には理解できない思考だし、理解したくもない。
そういう考え方は、宗教対立に通じるところがあるな
むしろ家族を守るために信仰を捨てる人のほうが尊敬できる
「これは私の信仰心が足りなかったんですね」
と本気で言ってた奴を知ってる
どう考えても信仰心よりも注意力が足りないだろ
そもそも迫害したほうがDQNだろうに。
そして迫害の理由ってのは※45425 ※45426みたいなもんなんだよな、実は。
ところでちゃんと娘が殺された事件は刑事事件として処理されたんだよね?
親が宗教に狂って、さんざん苦しめられた身としては感動なんか出来ん
要は 宗教心>>>>>>>子への愛 ってだけ
墨子の言う「兼愛」の観点からすりゃご立派だが 反吐が出るわ
旧日本軍の兵士が最期によく言ったとされる「天皇陛下万歳」と同じニュアンスだな
天皇が無上の存在であると教育したように、こいつは娘にそう教育したんだろう
で、神が娘のためになんかしてくれたのか?
君死にたまふことなかれ
すめらみことは戦ひに
おほみずから出でまさね
かたみに人の血を流し
獣の道で死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは
おほみこころのふかければ
もとよりいかで思されむ
斎藤は内村鑑三の弟子の無教会主義キリスト教徒である。
日露戦争の際、内村に影響され、本気で非戦論を唱え、「納税拒否、徴兵忌避も辞せず」との決意をする。心配した内村が花巻を訪れ、説得し斎藤は翻意するが、すでに県当局からにらまれ、小学校教員の職を失う。
どっちが正しいんだろう?
矛盾していないのか?
許すってお前らが決めてるみたいな
「殺した?あ、いいよ、おkおk」
っていうクライムフリーじゃないよ。
むしろ仮にもそう思うお前らの人格疑うわ。
どんだけ他人に許可求める媚びへつらった人生送ってんのか知らんけど
むしろ俺はそうなりたくは無いわ。
キリストさんも『①悔いて②改めた者は③許す』んだから、悪い行い(罪)罪は許さんよ。
蹴り殺した方も自分の子供(も同然)なんだから人は許すけど。
輸血拒否して我が子を殺そうとしてるカルトと何が違うの?
親として最低最悪じゃん。
宗教ってやっぱ馬鹿のやるもんなんだなあと思った。
幼女を殺すなんて、許されてはならない
だからって宗教がクソだの、この人はキチガイだの
そういうことを言うのは違うんじゃないの?
1908. 11. 3 長女・愛子、天長節祝賀式の式場で、「ヤソ教徒の娘だ」と男子生徒の肘で強く腹部を打たれ、
これが原因で腹膜炎となる。
1909. 1. 1 隣家のろうそく工場より失火。消防夫により家を壊される。
(養母の情夫が子分の消防夫に故意にやらせたもの。)
1909. 4. 15 長女・愛子死去。
1909. 11 賃貸中の水車小屋が賃借人の放火のため全焼。
1910 養母・スミが斉藤の印鑑を盗用して作った多額の借金を整理するため、
家屋敷・書店を処分。
1912. 8. 19 妻・スエ、死去。
つらい、つらすぎる!
ttp://www8.ocn.ne.jp/~kunio/saitou.htm
どう見ても親としての責任を果たしていませんよね?
美談じみたエピソードに目が曇っているのではないですか?
フィルターを外して見てごらん。擁護しきれる生き方ではありません
日本人は奴隷制を嫌悪してるからね。
そりゃ奴隷制を推し進めてた宗教を崇拝してると
カミングアウトしたら、嫌われるわ
小さな女の子を殺した屑野郎>>(犯罪者の壁)>>娘が死んでも許す親>>(キチガイの壁)>放火野郎>養母
宗教の為に家族の生活を賭けるのは
どうしても理解出来ない
キリスト教が本質的にどのような性格を持っているかを考えるとなあ……
上のほうで散々述べられているように、子供のために修羅羅刹となるほうが(褒められた事ではないかもしれないが)理解できるし、共感も出来る。
人はパンのみで生きるのではない、とはいうが、神の奴隷となって生きるわけでもないでしょ。
この人の「神に従う」というのは人間の尊厳をどこかにうっちゃってるようにしか見えない。
こういう心理については「ステパノ サウロ」でググって欲しい。
つまり「この人たちは悪い人、しかし神様、信心深い私めがお願いしますから彼らの罪を許してあげてください」っていうこと。
人のためにつくすのは尊い事だけど、この人は何か色々間違えているような気がしてならない。
殺した人が悪いのは当然としてきっかけを作ってしまったのはこの人、親として娘と宗教天秤にかけて宗教とるのは宗教家としては素晴らしいことかもしれないけど親としては屑。
この人は宗教をなにか別のものに置き換えても多分批判される。
「こういう心理状態じゃなければ生きていけなかった」
ってところなんじゃないかな…
盲信ってのは、とっても「楽」なんだよね
批判されると変なキレ方するんじゃ
やっぱり宗教家って常軌を逸してるとしか思えない。
それがますます偏見を助長するって気づいてないのかなぁ
本気で理解されたいなら、それこそ斉藤宗次郎のようにすべきなのに
批判相手に噛み付くばかりだから狂犬扱いされるんだよ
東に病気の大人が泣く
今すぐそこまで行って夢を与え
未来の事ならなにも
心配するなと言えそうかい?
井上陽水の『ワカンナイ』より
周囲の無理解に愛と献身で返した斉藤は、並の人間じゃないな。
・・・言っちゃ悪いと思うけど微妙にやだ
人を助けたいから人を助けるんじゃなくて、宗教を広めたいから人を助けるって、人助けが単なる手段でしかない。
自分の、宗教を伝えたいって為に人を助けてる。
そんなこといったら、人を助けたいって為に人助けをするのも自分の為って言われそうだが。
娘殺されたのも、自分が宗教を広めたいの以下の扱いにしてるし、結局他人のことをまるで考えてない。
それにしても幼女を殺したのは許せん。
他人への愛や優しさが無ければキリスト教は成りたたなくてもキリスト教が無ければ他人への愛が成りたたないわけじゃなし。
米45424が言うように宗教や神様を理由にせず他人に優しくできるのが本当に優しい人間。
媚へつらってんのはお前の方だろ、気づいてねーんだろうけどなw
何言ってんだ、日本にも奴卑がいただろうが
そもそも娘をいじめ殺したのが普通の日本人じゃねーかバカどもが
オマケに国からタブー扱い=現代でいうオウムやパナウェーブみたいなもん。
そんなんが布教してたら、迫害もしたくなるわ。
娘を殺すのはやりすぎにしても、気持ちは分かる。
こういうのが近所にいると不気味でしょうがない。
死ぬ死ぬ詐欺(笑)とか言ってますからね。
おやおや、子供のためなら例え詐欺集団と結託しようとも
救おうとなら美談なんじゃないんですか?
って言いたいわけじゃないんだろ?
じゃあどうさせたかったの?どうしてれば満足したの?
死ぬ死ぬ詐欺と嘲ってる方々と親の責務を問うてる方々が同一人物という証拠の提示は可能ですか?
無理ですよね、口を閉じて黙っていて下さい。
上に書かれてる米全部読んだ?
他人の書き込み批判するなら読み流さずちゃんと読まないと。
人に称えられるより、娘を守ってほしかったわ。悪人とよばれても。
この人が偉かったんだろ(あるいは狂ってたか)。
でも、人の心を打つなにものかがあったんだろうな。
『あの詩』を生み出したのは宮沢賢治ともう1人このオッサンだったというわけか。
迫害されてた時期のキリスト教しかりオウムしかり層化しかり。
人の心理はそういう動きをするようになってんだろうね。
そこがまた周囲には怖く見えて近づきたくなくなっちゃう。
まあそこで周囲への敵対心を強めていったオウムや層化と
むしろ周囲を取り込もうとしたキリスト教とでは大きな違いがあるだろうけど。
人それぞれの「芯」をつらい抜いた生き方、、とい意味でね。