このヘッドラインはNEWs保存道場が気まぐれでお勧めブログを紹介してます。
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
21 :NO-FUTUREさん[sage]:2008/03/15(土) 15:12:58 ID:???
-逸話集-
・千葉大医を受験しようと思ったが消毒臭・カーテンの汚さに嫌気がさし東北大へ進学。
・デビュー直後、高橋幸宏のドラムにダメ出ししまくり、キレさせた。
・働きたくないが為に早稲田の院へ主席で入学。
・卒論のタイトルは「建築との訣別」、同卒論で教授や建築業界を酷評。
・文化放送でつまらなくなって番組中に文庫本を読み出し出入り禁止。
・売れない頃、ラジオDJに説教。
・レコード会社のお偉方が来たコンサートで新曲(松本隆・筒美京平)を歌わなかった。
・売れない頃、新作を出したユーミンに「前のアルバムの方が良かった。今度のは、 サウンドが歌を殺してる。」と捨て台詞を吐き、松任谷正隆「何て無礼な奴だ!」と憤慨。
・オフコースが売れた頃、園遊会を断った。
・オフコース時代、ムッシュかまやつが楽屋に挨拶しに来たが無視。
・オフコース時代のMCは「こんばんは、オフコースです。」「次の曲を聴いてください 。」 「最後の曲です、今日はありがとう。」とメンバー紹介しかなかった。
・ゴルフのコンペで和田アキ子をいじめ、佐藤準を鼻で笑う。
・坂本龍一に「戦場のメリークリスマス」のボーカルを入れるよう頼まれたが拒否。
・坂本づてで何とかレコーディングに参加してもらった大貫妙子を怒らせる。
・紅白に呼ばれたが、紅白を蹴りFNS歌謡祭に出演。
・「君は学校で何を学んだの?」と女子アナを泣かせ、次行った時は、別の女子アナがビビッってた。
・レコーディング時、松本たか子を泣かす。
・松山千春に「コーラスやろうか?」と言われ、「お前が歌うと小節が入るから要らない。」 と答えた。
« 支援デモ l ホーム l 今までで強烈に感動したCMドラマ »
よく言うよw
どこか世間とズレてるよな
秘所がイキそうだったのがイチロー■秘書が逝きそうだったのが一郎
ゴロを出して叩かれるのがイチロー■ボロを出して叩かれるのが一郎
決定打を決めるまで諦めないのがイチロー■決定打を受けるまで諦めないのが一郎
一抹の不安を払拭できたのがイチロー■西松の不安を払拭できないのが一郎
期待がかかると闘志が燃え上がるのがイチロー■疑惑がかかると事務所が燃え上がるのが一郎
勝負に燃えるのがイチロー■書類が燃えるのが一郎
活躍してお金を多く貰っているのがイチロー■暗躍してお金を多く貰っているのが一郎
迂回しなくてもホームに届くのがイチロー■迂回しないと献金が届かないのが一郎
投手から転向したのがイチロー■党首から転落しそうなのが一郎
三億稼ぐのがイチロー■三億稼ぐのが一郎
投手の隙をつくのがイチロー■法律の隙をつくのが一郎
疾走するのがイチロー■失踪するのが一郎
挑戦が好きなのがイチロー■朝鮮が好きなのが一郎
バットコントロールがうまいのがイチロー■メディアコントロールがうまいのが一郎
批判を辛抱するのがイチロー■批判を陰謀にするのが一郎
チャンスで打つのがイチロー■民主で鬱なのが一郎
献身するのがイチロー■献金されるのが一郎
仲間を惹きつけるのがイチロー■仲間がひきつけを起こすのが一郎
殊勝になるのがイチロー■首相になれないのが一郎
今は少し丸くなってると思う。ほんの少しだけどww
これ本当かな
というか、主席で入学ってどういうことだろう
早大建築の修士に外部から入ってくる人ってそんなにいないと思ってた
ウケる!とか思ってんの?
理由とか、もっと詳しく聞きたいエピソードばかりだ
まぁ天才型なのかねぇ
ごめんちょっと何言ってるかわかんない
「メンバー紹介もしなかった」の間違いじゃないの?
「コブシが入る」と書けば分かるか?
こういうのがいいって人はイジメ小山田なんかもマイナスイメージじゃないんだろうな。
嫌われてるけどな
* 「オフコース」の名前の由来は「もちろん(of course)」ではなく、「道を外れる(off course)」という意味であるが、命名のヒントになったのは聖光野球部OB草野球チーム「of course」(「「もちろん」勝つ」の意味を込めた名称)である。
* 「さよなら」、「Yes-No」、「YES-YES-YES」、「君が、嘘を、ついた」などがヒットし、当時の人気番組ザ・ベストテン(TBS)に何度となくランクインしたが、この番組を含めテレビの音楽番組には一切出演しなかった。「オフコースの皆さんはコンサート活動に専念するため…」とお詫びのお辞儀をする久米宏の姿が毎週のように見られた。一度だけ「YES-YES-YES」の時に、レコーディングスタジオから中継で小田のみがコメントを出した事がある。それに対し「笑っていいとも」と「オレたちひょうきん族」には出演した。フジテレビの音楽番組担当プロデューサーは、バラエティ担当プロデューサーを羨ましがったという。
* オリコンシングルチャートでは「さよなら」[35]、「君が、嘘を、ついた」[36]が最高2位止まりだった。アルバムチャートでは『We are』[37]と『over』[38]が1位になっている。なお、小田和正が作った曲のシングルチャートでの1位は、彼がソロシンガーとしてデビュー後、「ラブ・ストーリーは突然に」[39]で達成される。
* 『Three and Two』[40]でのインタビューで小田は「去年初めて『銀河鉄道999』の(映画)音楽をやらないかって話があってね、さんざん考えた末、やろうっていう気になったら映画会社とかレコード会社の問題とか、いろいろいきさつがあって、結局ゴダイゴということになっちゃって」と、実現しなかったいきさつを語っている。
* 1981年3月28日宮城県民会館で行われた「OFF COURSE CONSERT “We are”」最終公演のアンコール、「愛を止めないで」のエンディングにさしかかった瞬間、舞台の袖から200本のカーネーションがスタッフの手によって投げ入れられた。これについて小田は「僕たちの制作するものの中で特に、レコーディングとステージに関しては何がどうなっているか知らぬ部分はない。だから、僕らの想像を超えて何かが創造されるということは全く考えたことがなかった。しかしそれは起こった。他人が聞けば他愛のないシャレに過ぎないかも知れないが、それが僕にとっては今度のアルバム・レコーディング、そしてこのコンサート・ツアーのすべてが覆されるほどの衝撃だった。だから僕は『ヤラレタ…』と思ったのだった。そして、あんなことが起こったのが心から嬉しかった」と語っている。
* シングル「I LOVE YOU」[41]のエンディングのコーラスは当初、少年合唱団によるテイクを予定していたが、結果的にはレコーディングスタジオ近くの公園にいた子供たちやその親を迎え、さらにそこにメンバーやスタッフも加わってレコーディングしたテイクに変更された。また、この曲はアルバム『I LOVE YOU』[42]収録の際、ミキサーであるビル・シュネーの友人がジョン・レノン死亡の新聞記事をニュース調に読み上げたナレーションが間奏部に挿入された。
* シングル「YES-YES-YES」に妙な女性の声(ねぇ、私のこと好き?)が入っていると、テレビのオカルト番組で取り上げられることがあるが、この声は意図的に録音されていることが、当時の音楽雑誌『ギターブックGB』(ソニー・マガジンズ)の記事に掲載されている。声の主はレコーディングのとき、同じ録音スタジオを使っていた「レモンツリー」という男女デュオの女性である。
* 鈴木が脱退した経緯は山際淳司著によるドキュメンタリー『Give Up』に詳述されている。これによると、当時のマネージャー上野博が「オフコースが売れるにはまず一人、象徴となる人物を立てて、その人物をメインに押し立てていくべき」という方針を立て、小田が選ばれた。実際、そのころからメディア露出は小田がメインになっているのだが、このことに鈴木が反発したことによるという。
* 1982年の日本武道館10日間公演中の6月23日、ツアーの追加公演という形で横浜スタジアムでのコンサートが8月に計画されたが、7月5日に鈴木からの「区切りをつけたい」との申し入れにより中止となった。
* 「僕等の時代」は名古屋テレビのオープニングBGMとして使われた[43]。
* 現在「僕等の時代」の詞がオフコースの写真、プロフィールと共に、中学校国語教科書[44]に採用されている。
* 「言葉にできない」のフェードアウト直前に、当時の解散を示唆する“We are”, “over”, “thank you”のナレーションが収録されている。
* シングルのA面はほとんどが小田の曲だが、最初から小田の作品をA面と決めていたわけではなく、メンバー(ほとんどは小田か鈴木)が曲を持ち寄り、コンペティションを行った結果によるものであった。このことは小田が『たしかなこと』[45]で、鈴木が自身のホームページでのファンからの質問への回答で、それぞれ異口同音に語っている。結果として小田の曲が多くA面に採用されたことについて、小田は「ヤス(鈴木)に対して申し訳ないと思っていた」、鈴木は「そういう結果だから仕方ないと思っていた」と語っている。鈴木はよく自身のオフコース時代を「B面人生」と自嘲したりしたことがあったが、A面の選ばれ方自体については特にわだかまりは無いと思われる。
小田和正って映画なぞ作って大コケしてなかったっけ?頓挫したんだっけ?
「ババァどもが何かやってます」とか言う人だからな
映画作って失敗した後、今度は『若い気鋭のミュージシャンが調子に乗って映画撮ったら失敗して、そのミュージシャンがそれを教訓にもう一本映画とってひとまず成功する』という脚本の映画作ってたと思う