366 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/14(金) 00:15:09 ID:6R1D7/E5
前田の両腕(二)
永禄12年(1569)、信長は荒子城主・前田利久を「武者道少御無沙汰」の故をもって、その弟である利家に代えることを命じた。
利家が荒子城の受け取りに向かうと、門は閉ざされ、その前に立ちはだかる者がいる。
「織田の大殿がなんと言おうと、この城は利久様のもの。利久様の命あるまで、城を
明け渡すこと、まかりなりませぬ!」前田家に代々仕える、奥村助右衛門であった。
利家も事を荒立てず、利久から譲り渡しの誓紙を取り、筋を通して門を開けさせた。
助右衛門はなおも己の意地と忠義を通し、前田家を出て牢人した。
天正元年(1573)、利家は、越前攻めに向かう家中に見たようなみないような顔を発見する。
なんと、いつの間にか奥村助右衛門が騎馬武者隊に紛れこんでいた。
利家は黙ってこれを見逃した。助右衛門もこれに答え、刀根山の戦いで功を上げ、
正式に帰参が許された。その後、末森城を文字通り死守したのはあまりに有名。
子孫は本家に1万2千石、分家に1万1千石と、「加賀八家」でも破格の待遇を受けている。
時ははるかに過ぎ去り
明治天皇が東京本郷の前田侯爵邸に行幸された時のこと。
侯爵邸の玄関に入ると、いきなり二組の古めかしい甲冑が飾ってある。
天皇が由来を尋ねると、
「これは当家代々の家臣、村井家と奥村家のものです。両家の長年の功労に報い、ともに晴れの行幸の名誉を分かつため、ここに飾り置きました。」
侯爵前田利嗣は、胸を張って答えたという。
前田利嗣さんの親父さんが、加賀藩の最後の藩主か。
小さい頃からこういう話を聞かされて育ったんだろうなぁ。
前田の
両腕は
凄かった
確かにその通りだw
しかしこう言う話は心に響く
オマイさんの
三行は
腹筋に響いたw
ワロタw