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439 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/21(日) 22:03:15 ID:/7xvC7hp
二人の息子
本多忠勝は正室との間に忠政、忠朝の二人の息子を儲けた。
家康の関東移封にともない、忠勝は上総国大多喜10万石に封じられた。
さて、関ヶ原の戦い後、家康が忠勝に加増してやろうと話を持ちかけると、
「今の石高で十分です。私に加増は結構です」と固辞する。
それでも十分功績はあったのだからと、家康はちょっと考えて次のようにした。
忠勝には、伊勢国桑名10万石を与える。
それとは別に、次男忠朝に上総国大多喜5万石を与える。
どうも忠勝は次男忠朝の方が可愛くて、何とか独立した大名にさせようと工作したらしい。
臨終の際、忠勝は家老に遺言書を預けた。その内容は、
「桑名10万石の相続は幕命により相続。
その他、武具、馬具、茶道具など一切の物は長男忠政に譲る。
た・だ・し、
自分は他に黄金一万五千両を蓄えているが、こ・れ・は、次男忠朝に与える」
これを聞いた忠政は激怒して、「長男が全て相続するに決まってるだろーが!」
と忠朝に黄金を与えなかった。
一方、忠朝は「兄貴のほうが大身だし、何かとお金が必要になるだろうからいらない」
と言って催促をしなかった。
弟の態度を家老から聞いた忠政はひどく恥じ入って、今度は黄金を忠朝に渡そうとする、
忠朝は頑として受け付けない、でどちらも譲らない。
そこで本多一門の者が間に入り、黄金は二人で半分ずつ分けることで話が付いた。
しかし、忠朝は「急用があったらその時渡してもらえればいいです」と兄の蔵に黄金を
置いたまま、とうとう一度も手に取ることもなく、大坂夏の陣で戦死した。
まあ、三人とも立派だったんだよな。
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本当にオヤジの遺言が余計
3人とも
秀政も戦傷でその日の夕方に絶命している
馴れ合いにしか見えん
兄弟はともかく親父はちょっとなあ
つーか、化け物だろ 常識的に考えて
『家康に過ぎたるモノ二つあり
唐の兜と本田忠勝』
単なる物欲の話ではないと思う。
長男は次男を思い遣る事もなかったのかもしれないし
長男と次男が争う事になるかも知れない遺言だったけど
結果として長男にとってはいい遺言だったんじゃないだろうか
その晩年は、現在の秋田に飛ばされて、死ぬまで屋敷に軟禁状態だったんだとさー。
>まあ、三人とも立派だったんだよな。