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238 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/09(日) 16:04:13 ID:fpLUCQGR
昔、越後においてのこと。山伏がある家に宿を借りた。
ちょうどその時、その家の亭主は、国入りする領主のお出迎えに出るところだったが、
山伏のさしていた刀が大変見事だったため、亭主はこれを借り受け、腰に挿して出かけていった。
するとその留守中に、越後一国に徳政の札が立った。
亭主は「徳政が出た以上、借りた者は返さなくて良い!」と、山伏に刀の返却を拒否。
これに山伏も怒りお上へ訴え出る。双方引かず、この訴訟はついに、江戸において
徳川家康の直裁を仰ぐ、という話になった。
ちょうどこの時、京都所司代、板倉伊賀守勝重が江戸に滞在していた。
家康からの「この訴訟いかがすべきか」という諮問に勝重は、「私にお任せください」という。
そして亭主と山伏を呼び出し、こう、判決を述べた。
「徳政の札により、刀が亭主の物になったことは間違いない。
ただし
同じく宿として借りた亭主の家は、山伏の物になったとする也。」
亭主は大いに慌て、謝罪し刀を返しさらに多額の金まで支払って、どうにか家を取り戻したとか。
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執事とか側近とかのイメージあるよな
フィクションにおける大岡越前(大岡裁き)の元ネタとも言われてるくらいだし
外国の人には分からない話かもね?
「徳政令」に限れば鎌倉時代からあるよ。徳政令という名前でなくとも、為政者の都合で借金を帳消しにするってことはもっと昔からある。
で、鎌倉~室町にかけてよくやられた。むしろ江戸時代は、徳政令の害がある程度に理解されてたから、よほど追い込まれなければやらなかった。
(やるにしても、向こう200年ローン返済と言った形での事実上の踏み倒しとかな)