804 名前:ななしのいるせいかつ[sage] 投稿日:2009/06/20(土) 21:24:28
大きなことを成し遂げるために、力を与えてほしいと、神に求めたのに、
謙虚を学ぶようにと、弱さを授かった。
より偉大なことができるようにと、健康を求めたのに、
より良きことができるようにと、病弱を与えられた。
幸せになろうとして、富を求めたのに、
賢明であるようにと、貧困を授かった。
世の人々の称賛を得ようとして、成功を求めたのに、
得意にならないようにと、失敗を授かった。
人生を楽しもうと、たくさんのものを求めたのに、
むしろ人生を味わうようにと、シンプルな生活を与えられた。
求めたものは一つとして与えられなかったが、願いは全て聞き届けられた。
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、全て叶えられた。
私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されたのだ。
ニューヨークのとある壁に書かれた文
それってつまり恵まれてないってことじゃん
悪ければ、神の試練
なんて完璧な論理だろうか
端から見たら馬鹿にしか見えん
「宗教モードのものは試練だとか修行という言葉でリスクを肯定している」
って言葉が攻殻機動隊にあったな。
努力に対して相応の結果が得られなかったらこうやって自分を納得させるという方法もあるんだな。
何の努力もせずにこういうことを言っちゃうと変な宗教にハマることになる。
信仰の最大のメリットだ
なんかその時はいやなんだけど、あとで役に立つことってあるよな
それはちがう
健康が恵まれていることだと、多くの人が病むまで本当には気づけない
だが自覚がなくとも、健康なのは恵まれていることだ
言うのは初めて聞いた。
NYの壁に書いてあったん?
なんてことをしてくれたんだ
ではほんとうのしあわせとはなにか。
苦しみを味あわぬよう死ぬことか。
失敗しないよう何もしないことか。
失わぬよう何も手に入れないことか。
笑われぬよう周りにあわせることか。
目立たぬよう自分を殺すことか。
叩かれぬようROMってることか。
これを読んでるオマイが書き込んでくれることを願う。
だから、恵まれてるっていう自覚が無いなら恵まれて無いじゃん
ここにもっと詳しい情報があったよ。
>ニューヨークの物理療法リハビリテーション研究所の受付の壁に掲げられている作者不詳の詩)
だとさ。
どんな不遇な境遇だろうと、自分の人生を肯定できるってのは素晴らしいことじゃないか。
彼がその悟りに至るまでにキリスト教の力を借りたのかもしれないが、到達した悟り自体は普遍的な価値を持ってるよ。特定の宗教の手を離れて。
この詩を読んで、馬鹿に見えるとか宗教に冷ややかなまなざしを向けちゃう人の気持ちは、ちょっと理解できない。
I asked God
(A CREED FOR THOSE WHO HAVE SUFFERED)
I asked God for strength, that I might achieve
I was made weak, that I might learn humbly to obey...
I asked for health, that I might do greater things
I was given infirmity, that I might do better things...
I asked for riches, that I might be happy
I was given poverty, that I might be wise...
I asked for power, that I might have the praise of men
I was given weakness, that I might feel the need of God...
I asked for all things, that I might enjoy life
I was given life, that I might enjoy all things...
I got nothing that I asked for -- but everything I had hoped for
Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
I am among all men, most richly blessed!
多くの宗教屋は他人を不幸にするから先入観入っちゃうのも分かるがな
本 気 で 幸せだと感じるならその人は間違いなく幸せだ。
渦中の人には忌々しい詩だろさ
何だかんだで、人生とか精神的幸福とかの落としどころって
こういうところで決着がついちゃうんだろうなという感じがする。
分かってたって実行できないのも人間だが。
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この人が「渦中」の状態で書いたという可能性は考えないのか。
まぁ通常の価値観では「こんな風に思えるはずがない」と思うのも無理はないが。
むしろ「渦中」にあってこの詩を忌々しいとしか思えないような人って、
それらを精神的に克服することは永遠にできないだろうよ。
不自由=不幸じゃない的なこと言ってたよな
この詩も市民に我慢をしいるための道具に過ぎないし
キリスト教(宗教)も便利な魔法の杖
そう感じた
賢く勤勉であり向上心がある市民というのはさぞ扱いにくかろう
恵まれてると思わない=恵まれてない
じゃあ思えばいいじゃん
というより気付くというのか
親が死んでから親のありがたさに気付くみたいな感じ
その例にならうと
親を殺せばいいってことかな?
そしたら恵まれてるってことになるの?
「恵まれてる」ってことではなく「恵まれてた」ってことだ
分からないヤツは一生分からないだろうから疑問に思わなくても別にいいんじゃね?
あなたが意見を押しつけてきたから反論したまで、あなたこそ自分の心の中だけでそう思ってればいいじゃないですか
てかもう論点ずれすぎ
素直に負けを認めればいいのに
障害があるのは、神様が他の分野の才能と釣り合わせるためだから、という…。
「渦中」の人にとって、この詩はむしろ希望を与えてくれるものじゃないか?
自分が今直面してる苦しみも必ず克服できるものなんだ、って。
そういう、たくましい楽観主義みたいな思考は、どんな国であれ良く生きていく上で必要なものだと思う。
出展 聖書
素直さを失った人間は幸せから一番遠い。