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611 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/19(水) 18:45:23 ID:7jr2svV7
堀秀政のちょっと良い話(戦場編其ノ一)
人使いが巧く、「名人久太郎」と呼ばれた秀政。
戦場でも彼はその才能を発揮していた。
合戦での陣中の夜間、特に風雨の強い時などは
「陣泥棒」と言う、武具や糧秣を盗む盗賊が
いて、当時の武将達は常に警戒していた。だが
秀政の陣では「陣泥棒」にやられる事が無かった。
秀政は見張りの兵達に、こう申し付けていた。
「今宵は風雨が強く、泥棒には絶好の機会だ。もし
『陣泥棒』が来なくても、わしがスキを見て泥棒に
入るので、気をつけておけよ。」
大将にこう言われては、厳しく警戒せざるを得ない。
秀政はこうして「陣泥棒」を防いだのである。
612 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/19(水) 19:19:38 ID:7jr2svV7
堀秀政のちょっと良い話(戦場編其ノ二)
秀政が秀吉の配下として九州平定戦に従軍
していた時の話である。
秀政は城を攻めていた。城方から勇敢にも
討って出てきた、敵兵五十人ほどを生け捕り
にした。秀政の前に引き出された敵兵達は、
見せしめの処刑を覚悟した。
秀政は敵兵達に言った「九州に来てから城攻め
ばかり。攻めた城はどこも一日で落城し、わし
は次々と行軍せねばならず、本当にきついのだ。
そこでお前達に頼みがある。このまま城に帰って、
せめて後三日は持ちこたえてくれないか?対陣して
いれば軍を動かさずに済むからな。」
と言って敵兵全員を解放した。すぐさま城に逃げ
帰った兵達は、とても敵う相手ではないと悟り、
城方は即座に降伏した。「名人久太郎」の面目躍如である。
もっとも、秀政は本当に休みたかったのかもしれないが…
615 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/19(水) 21:22:55 ID:7jr2svV7
堀秀政のちょっと良い話(政務編)
ある時、堀家では論争が起きた。それは
「荷駄を運ぶ際、荷駄の数を決める勘定役と、
荷駄を運ぶ担ぎ役とではどちらが偉いか?」
と言うものであった。現代風に言えば経理担当
と現場担当どちらが大変か?と言う感じである。
これを聞いた秀政は勘定役、担ぎ役の双方を集め
こう言った。
「わしはかつて、蔵入り奉行(経理担当)をして
いたので、勘定役の苦労はわかる。だが担ぎ役は
したことが無いゆえ、今からやってみる。荷駄を
用意してくれ。」と言って荷駄を用意させ、自ら
荷駄を担いで小高い山を乗り越えた。
そこで一緒に着いてきた勘定役と担ぎ役の双方に言った。
「わしも戦で鍛えたゆえ、荷駄ごときと思っていたが、
間違いだった。ここに運ぶまでにヘトヘトになってしまった。
担ぎ役達には、いつもこの様な苦労をさせていたのだな。
本当にありがたい。これで勘定役も荷駄を運ぶ苦労がわかったで
あろう。お互いが苦労をいたわれば良いのではないか。」
勘定役、担ぎ役の双方は秀政の体を張った説得に感動し、和解した。
以後論争は無くなり、家中の団結は一層強くなったのである。
« 俺のひいじーさまの遺言 l ホーム l 私は記憶を売った »
こんな上司が( ゜д゜)ホスィ…
ただ、秀政の人柄がこのような感じだったと後に話が作られることもあるだろう。
お前が小学生の頃に書いた「将来の夢」より真実味は高い。
ヒドイww
そういう点では政治や世界情勢にも言えるよね
自分がこの話に出てくるような上司になれるよう努力すべきということ。
今、部下を持っていない人は将来のために…ってとこかな。
4以降は普通のオッサンに戻った
堀久太郎秀政のAAは、まず間違いなくQ太郎になるwww
なんか腐女子くせえ
何が言いたいか分からない人は
「戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ」を見てみよう!
戦国武将は相当な器量と能力を持ってるとおもうよ
実際彼は美少年だったって説があるからな
13歳の若さで織田信長の小姓・側近として取り立てられたんだが、
その理由は実力があったって理由の他に、美少年だったからじゃないかって話だ
だから森蘭丸が信長に仕えるまでの十数年は、側近として絶大な権力を与えられていたと言われている
ついでに九州攻めでの逸話を一つ
堀秀政の家老であった堀直政って男がいるんだが、彼と秀政は従兄弟であり盟友でもあった
九州攻めでの秀政の近臣に山下甚五兵衛という者がいたんだが、
この男が戦の恐怖に乱心して、突然秀政に背後から切りかかった
秀政は振り返りざまに山下を斬ったが、その時直政もいち早く駆けつけていて同時に山下を背後から斬っていた
ちなみに家臣たちは全く動けなかったらしい
秀政は直政に「わしが先だった」といって笑い、直政は静かに頷き刀を納めたとか
「堀左衛門督殿、悪しき仕置の条々」と、三十数箇条に渡り家中の諸士のあてがい扶持・百姓・町人の作法の悪い旨の高札を城下の辻に建てるものがいた
この高札を読んだ秀政は、袴をつけ手水で口をすすぎ、高札を三度押し戴き、
「こんな立派な諌めの言葉を私に向かって言える者は誰もいないはずだ、これはひとえに天の与えさせ給うものだ」と言って、
高札を家宝として袋に入れた上で箱に収め、家中の者の作法・善悪を糾し悉くを改めさせたらしい