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128 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/04(火) 17:41:39 ID:Df36VSqJ
日本時計事始
織田信長が、南蛮人から南蛮時計を贈られた事があった。だが、当時の機械の事、すぐに故障した。
壊れた時計は、当然の事ながら日本人には修理できない。
「こんなもの役には立たない」
信長は南蛮人にこれを返し、代わりに南蛮帽子と孔雀の羽を譲ってもらった。
さて、慶長十年(1605)
徳川家康にも、南蛮時計が贈られた。もちろんすぐに故障した。
だが家康は、ここからが違った。「壊れたら、直せるようにすればいい。」
早速、当時細工で有名だった男が、家康のいる駿府に呼び出された。津田助左衛門政之。
京で牢人中だった。
壊れた時計を分解した政之は、たちまち仕組みを理解。その時計を直したのみならず、
さらにそのレプリカまで作り上げた。
家康は喜び、政之に褒美として時服をあたえ、御時計師として八十人扶持で召抱えた。
この「御時計師」は、幕府の技術職として定着する。
後、津田の一族が使えた尾張藩の史書「尾張志」はこう伝える
「自鳴磐、俗に時計という。常盤町津田助左衛門是をつくる。(中略)日本時計師の元祖ともいふべし」
ここに、和時計の歴史が始まったのだ。
131 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/04(火) 19:43:02 ID:lUBidacN
>>128
信長は宣教師から南蛮時計を寄贈されたけど「修理の仕方が分からないから」と言って
名残惜しそうにその場で返却したんじゃなかったっけか?
寄贈された南蛮時計をそのまま受け取って使用したという逸話もあるんだな。
まあ普通に考えて南蛮時計は当時は超ナウいブランド品みたいな物だから、
普通は修理なんて後先の事は考えずに喜んで受け取るだろうから、
信長も受け取ったという逸話の方が本当っぽいねw
135 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/04(火) 20:07:07 ID:0NMzpX5P
>>131
フロイス日本史には、宣教師が持ってた目覚まし時計を信長が非常に気にいってたので
「ぜひ差し上げます」と何度も言ったんだが、
「これを貰ってもいいが修理の仕方がわからない為すぐ駄目にしてしまうだろうから
私は受け取らないのである」とか言って貰わなかったと書いてあったよ。
以前に一度壊した事があったのかもね。
あとたくさんの献上品からも、いつも気に入ったものだけを受け取って後は返してしまうとか
合理的主義な信長らしいと思った。
ついでに個人的にウケた話
自ら食事のお膳を運んできてくれた信長、そんな父の見慣れない姿にキョドる奇妙丸。
感激したフロイス、お膳を頭の上に掲げて感謝を表した所、冷静に
「汁をこぼさないように持ちなさい」とツッコまれたとさ
« 人と人の見えない繋がり l ホーム l なんで独身だと養子取れないんだ? »
ってか、信長は合理的すぎw
そんな血統じゃないし半ばひきこもりのオレだけどね。
ちなみに今の執政者ときたら…
ツッコミ待ち?
「奇妙丸」というネーミングセンスにはいつも驚かされる。
信忠は嫌じゃなかったのか。
抜粋したやつだけど文庫本になってて便利だからちょっと高いけど買って読んでるわ
古文とか読めなくても翻訳した日本語だし読みやすくてオススメ
こんな話は教科書に載らないと思うけどな。