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708 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/08/21(木) 17:16:59 ID:nA3clidC
あるとき織田信長が、千利休に「何でも好きなものを一つやろう」と言った。
知っての通り、信長は茶器の収集家として有名であり、おそらく利休も、その信長のコレクションの中から
どれかを望むであろう、と、信長も考えていた。ところが利休は
「上様の、正宗の脇差をいただきたい」
「茶器ではなく、脇差じゃと?」
「はい。茶器ならば、上様は名物をたくさん持っておいでになりましょうが、
この利休には、名物を発見する目がございます。
とすれば、武将が持つ名物といえば刀剣。名に聞こえた信長公の正宗の脇差、是非所望したくございます。」
こうして利休はその脇差を拝領し、それは「宗易正宗」の名で、世に有名になった。
そのしばらく後のこと
利休は、その脇差の拵えを、本阿弥光徳の所に頼みに行った。その時一緒に、古い鞘も持ってきて、
「これは随分前に、町でたまたま見つけたものでして、なかなか結構なものだと思っています。
手に入れてからずっと手元に置いていたのですが、この脇差の拵えを、これで作っていただきたい」
本阿弥家の人々はあきれた。脇差は天下の正宗、しかも信長公より拝領の逸品である。それを、
どこのものともわからない町買いの古鞘に合わせるとは。
第一、町で見つけたような古鞘を秘蔵するような人間は滅多に居るまい。さても変わったお人だ。
そんな話をしている時に、分家筋の光二(有名な本阿弥光悦の父)が現れた。その話を聞き、古鞘を見た。
光二は唸るように言った。
「これは、かつて私が、名刀鳥喰国次にあわせて拵えた鞘だ!」
早速、光二がその鞘を、正宗にあわせて仕立て直した。やがて刀を取りに来た利休は、その出来栄えの見事さに
感嘆し、また光二も、利休の眼力に、深く感じ入った。
頼む人も達人。頼まれた人も達人、であったわけだ。
そして、「宗易正宗」はその鞘とともに、さらに天下に名高く喧伝されたという。
本阿弥家の記録に残るお話。
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逸話が残るってこたすげぇ人だったんだろな
こういうのおもすれー
どっかの宗教亡者が、250年目の木に500年ぶりだねと言ったのはえらい違いだ。
街で見つけたものを使おうとしたら
実はかなりの名品だった
管理人が巡回する板のバラエティーの豊富さにも感心。
ゲヒヒ
元ネタを知ってる俺が残念なのか、13263が残念なのか