気まぐれへっどらいん

  Hカップ以上の娘にありがちなこと 上級編

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治世を為す者

705 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/24(月) 22:26:49 ID:kk5WKUU7
黒田如水が、福岡城を築城していた頃

建築現場から、木材が盗まれるという事件が頻発した。それがあまりに続き、工事の進捗にまで
影響をし始めた。それを聞いた如水の命で張り込みが行われ、やがてそれが功を奏し犯人を逮捕できた。
大工の一人だった。

報告を受けた如水は、その場に大工や左官どもを集めておくように、と言い、捕縛された
大工の元に駆けつけた。そして大工や左官達の前に犯人を引き出すと、いきなりこれを、
罵倒し始めた。

「この材木泥棒め!お前は泥棒などして恥ずかしいとは思わぬのか?大うつけが!」
そして扇子で犯人の頭をぴしゃりと叩き、「恥を知る頭もないか」と罵った。

やがて大工や左官達に振り返り、「よいか皆のもの、この男は盗人である!その罪により打ち首といたす!」
そしてこの男は一旦、石牢に入れられた。


そして数ヶ月がたった。


あの犯人は、そのまま石牢に入れられていた。如水から、刑執行の命令が無いのだ。
もしや大殿はあの罪人の事をお忘れになっているのでは?そう思った家臣達は、如水に尋ねた。
「どうでしょう、明日にでもあの罪人を打ち首になされては…?」


「ばかもの!」如水が怒鳴った「お前達は命の大切さを知らぬのか!?」

殿が打ち首にせよと言ったのではないか、そう思い唖然とする家臣たちに如水は

「よいか、大将たる者、理非賞罰の心構えがなくてはならぬ。お前達は、あの時大工を集めたのは
見せしめのためだと思っておろう。それはその通りじゃ。大工達を戒めるため、あの場に集めた。

…が、犯人を殺すかどうか、これは別じゃ。人間は、誰しも何かの役に立つ。だが、盗まれた
材木に衣服を着せても、あの犯人の大工と同じ役に立とうか?出来まい。
かように、人の命とは大切なものだ。みだりにこれを奪ってはならぬ。

お前達は、人の上に立つ者達だ。最初に盗まれた時、『再び罪を犯せば次は無い』、そう知らしめ、
同じ事を繰り返さぬようすることが役目であろう。
それを、何度も盗まれていながら、捕まえたから首を斬る。これではあまりに浅はかであろう。
あの犯人を放って置いたのは、お前達の誰かがこのことに気がついて、防犯を徹底できなかった
自分達も悪い。このたびだけは許してやってほしい。そう言いに来ないかと、それを待って
いたからなのじゃ。

よいか、この事をどうか、よく考えて欲しい。そしてあの犯人は、今回だけは許してやるのだ。
『この次は無いぞ?』と言ってな。」


治世を為す者は、罪を犯したものを憎む前に、その罪を犯させてしまった自らを省みよ。
そんな事を伝えた、黒田如水のお話。

2009年07月24日 | 戦国ネタ | コメント (38) このエントリーを含むはてなブックマーク

堀秀政のちょっと良い話

611 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/19(水) 18:45:23 ID:7jr2svV7
堀秀政のちょっと良い話(戦場編其ノ一)

人使いが巧く、「名人久太郎」と呼ばれた秀政。
戦場でも彼はその才能を発揮していた。

合戦での陣中の夜間、特に風雨の強い時などは
「陣泥棒」と言う、武具や糧秣を盗む盗賊が
いて、当時の武将達は常に警戒していた。だが
秀政の陣では「陣泥棒」にやられる事が無かった。
秀政は見張りの兵達に、こう申し付けていた。
「今宵は風雨が強く、泥棒には絶好の機会だ。もし
『陣泥棒』が来なくても、わしがスキを見て泥棒に
入るので、気をつけておけよ。」
大将にこう言われては、厳しく警戒せざるを得ない。
秀政はこうして「陣泥棒」を防いだのである。


612 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/19(水) 19:19:38 ID:7jr2svV7
堀秀政のちょっと良い話(戦場編其ノ二)

秀政が秀吉の配下として九州平定戦に従軍
していた時の話である。

秀政は城を攻めていた。城方から勇敢にも
討って出てきた、敵兵五十人ほどを生け捕り
にした。秀政の前に引き出された敵兵達は、
見せしめの処刑を覚悟した。
秀政は敵兵達に言った「九州に来てから城攻め
ばかり。攻めた城はどこも一日で落城し、わし
は次々と行軍せねばならず、本当にきついのだ。
そこでお前達に頼みがある。このまま城に帰って、
せめて後三日は持ちこたえてくれないか?対陣して
いれば軍を動かさずに済むからな。」
と言って敵兵全員を解放した。すぐさま城に逃げ
帰った兵達は、とても敵う相手ではないと悟り、
城方は即座に降伏した。「名人久太郎」の面目躍如である。

もっとも、秀政は本当に休みたかったのかもしれないが…


615 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/19(水) 21:22:55 ID:7jr2svV7
堀秀政のちょっと良い話(政務編)

ある時、堀家では論争が起きた。それは
「荷駄を運ぶ際、荷駄の数を決める勘定役と、
荷駄を運ぶ担ぎ役とではどちらが偉いか?」
と言うものであった。現代風に言えば経理担当
と現場担当どちらが大変か?と言う感じである。
これを聞いた秀政は勘定役、担ぎ役の双方を集め
こう言った。
「わしはかつて、蔵入り奉行(経理担当)をして
いたので、勘定役の苦労はわかる。だが担ぎ役は
したことが無いゆえ、今からやってみる。荷駄を
用意してくれ。」と言って荷駄を用意させ、自ら
荷駄を担いで小高い山を乗り越えた。
そこで一緒に着いてきた勘定役と担ぎ役の双方に言った。
「わしも戦で鍛えたゆえ、荷駄ごときと思っていたが、
間違いだった。ここに運ぶまでにヘトヘトになってしまった。
担ぎ役達には、いつもこの様な苦労をさせていたのだな。
本当にありがたい。これで勘定役も荷駄を運ぶ苦労がわかったで
あろう。お互いが苦労をいたわれば良いのではないか。」
勘定役、担ぎ役の双方は秀政の体を張った説得に感動し、和解した。
以後論争は無くなり、家中の団結は一層強くなったのである。

2009年07月10日 | 戦国ネタ | コメント (21) このエントリーを含むはてなブックマーク

加藤嘉明と河村権七

645 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/20(木) 20:46:08 ID:uUJ+sXDV
加藤嘉明の家臣に、河村権七という者がいた。

彼は関ヶ原でも大功をたてた者であったが、生来頑固であり、あるとき、
嘉明と行き違いで口論となり、腹立ちのあまり加藤家を出奔することにした。
が、出奔した後「あいつは他の家に、今より良い条件で仕えるために出奔したのだ。不忠者だ」などと
言われるのも片腹痛い。そこで、書置きを残した。

「この度お暇を頂くのは、他家に仕えるためではない。例え放浪の身になっても、
加藤家以外に仕える事はない。今後加藤家に大事があったときには、何処にいようと掛けつける。」

そうして、出て行った。これを知った嘉明は渋い顔をしたが、そのままほおって置いた。

14年の時が過ぎ、大阪の陣となる。
この時、豊臣恩顧の大名の多くは、江戸に留守居として抑留された。無論嘉明もそうなった。
そしてこんな噂が流れた。江戸に抑留された大名達は皆、改易されるのではないか?

そんな嘉明の江戸屋敷に、汚い身なりをした修験者が現れた。
「どうか殿にお目通りを」河村権七であった。

嘉明は驚き、対面した。「加藤家改易の噂を聞き、いても立ってもいられず参上いたしました。」

「…よく来た。書置きのとおりにいたしたな。」

嘉明はそれを喜び、河村を、元のように八百石で召抱える、戻って来い。と言った。
最初権七は恐縮したが、ついにこれに応じた。


「よし…。ではこちらに来い。」

嘉明は権七を、屋敷の一室に連れ出した。その部屋には、紫の布に覆われた、山のようなものがあった。
これはなんだろうと、権七が不思議な顔をしていると、嘉明は家臣に命じその布を取らせた。
その下には、莫大な金銀があった。

「権七、お前の俸禄じゃ。」

権七は混乱した。たった今八百石で仕えるとは言ったが、それが何故このような大金になるのか。
すると、その布を取った家臣が言った。
「これは河村殿が、『見聞の旅』に出ている間の俸禄を、殿の仰せで積み立てておいたものです。
14年分で一万一千二百石。どうぞお納めなされ。」

「お前は14年前、言ったな」唖然とする権七に、嘉明は語りかけた

「他家には仕えぬ。わしの一大事には駆けつける。お前の忠心を思えば、わしにはおぬしの俸禄を、
横領することなど出来なかった。そして今、その通りにしてくれた。

権七、またこの嘉明に、力を貸してくれ。」


権七はただただ、感涙にむせんでいた。

大阪の陣の後、会津四十万石に加増された加藤家において、河村権七は良く、嘉明を支えたという。

2009年06月09日 | 戦国ネタ | コメント (15) このエントリーを含むはてなブックマーク

彦根城の人柱

568 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/18(火) 18:06:45 ID:vu+4blV7
彦根城の人柱

慶長八年(1603)、家康の命により築城の始まった彦根城。工事は順調に進んだが、
天守の築造にいたってとたんに進捗が滞った。どうやっても上手く行かないのだ。
これに、工事関係者は「人柱を用いるべきではないか?」
と、ささやき始めた。この声は藩主、井伊直継にまで達したが、直継は

「人柱など立てても、工事が進むわけではない。人命を無駄にしてはならぬ。」

と、それを認めなかった。しかし、工事は遅々として進まない。
責任者の普請奉行は、深く悩んだ。自宅でも工事の事ばかり考えていた。
どうすればこれを打開できるか…
父の悩む姿に、その娘、お菊が、思いつめた顔で言った

「父上様、私を人柱にしてください!」

唖然とする父、そして母。だがお菊は言う、
「父上はいつもおっしゃっているではないですか、殿様がお困りの時は、
 命を捨ててご奉公しなければならない、と。」

「だが、それは…」

「今こそわたくしが、殿様のお役に立てるときではございませんか。
 そのために投げ出す命なら、本望でございます!」

娘に説得され、翌日普請奉行は直継にこれを進言した。
「なんと…」

直継はしばらく考え、言った
「お主の娘の忠心、感じ入った。このとおり、礼を申す。」

主君であるにもかかわらず、直継は普請奉行に深々と頭を下げた。
お菊は、人柱となることになった。

数日後、白装束に着替えたお菊は、白木の箱に入り、埋められた。
「殿様のお役に立ってまいります。」
それが最後の言葉だった。
普請奉行は、娘が埋められるところを見ることが出来なかったと言う。

お菊の埋められた数日後、天守は無事、天守代にすえられた。工事は成功した。


直継から、普請奉行の元に書状が届いた。
お前達には、この工事の事で特に礼を言いたいので、内儀と一緒に屋敷に来て欲しい、と。
夫婦二人、御前にまかり出た。平伏していると、直継が入ってきた。「顔を上げよ」
視線を上に上げると



「あっ!」



「父上様!母上様!」、お菊がいた。

「わしはな」
仰天している普請奉行夫婦に、直継は言う
「最初から、人柱などするつもりはなかったのじゃ。だが工事の者達はもはや、
 人柱をしないと納得できないようであった。だからお主の娘を埋めると見せかけ、
 こっそり空の箱と取り替えたのだ。みな、人柱があったと思い、
 おかげで工事は順調に進んだ。黙っていてすまなかった。礼を申す。」

普請奉行は涙を止める事ができず、ただただ体を震わせながら平伏していた、と言う。

2009年06月01日 | 戦国ネタ | コメント (30) このエントリーを含むはてなブックマーク

初鹿野伝衛門の陣羽織

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/17(月) 12:04:52 ID:lHB0fodC
初鹿野伝衛門の陣羽織

武田信玄の使い番に初鹿野伝衛門という勇者がいて、背に「香車」と書いた陣羽織
で有名であった。
信玄は「自ら「香車」と名乗る伝衛門は思い上がった男だ。」と彼を叱ったことも
あるが、猪突猛進する伝衛門の働きは正にその異名に恥じないものであった。
しかし信玄は「前ばかり行って戻らないのでは真の勇者とは言えまい。戻ってきて
こそ真の勇者であろう。」となお渋いことを言う。
それを聞いた伝衛門はさっと陣羽織を裏返してみせ、
「金になって戻って参ります。」と返答した。

伝衛門の陣羽織の裏には「金」の文字が書かれていたのだ。
これを見た信玄は満足そうにうなずき、周りの武将もドッと笑いましたとさ。
(関八州古戦録)

2009年05月31日 | 戦国ネタ | コメント (18) このエントリーを含むはてなブックマーク
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