気まぐれへっどらいん

  Hカップ以上の娘にありがちなこと 上級編

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遊郭と家康

520 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/17(月) 10:02:38 ID:YhqBQFKz
遊郭と家康

駿府の城下町に遊郭ができ、徳川家の旗本御家人に大人気となった。
家康は内心御家人の遊蕩を苦々しく思ったが、遊郭が城下町の繁栄に貢献してい
ることもあり、特に取り締まりはしなかった。
しかし、家康が遊郭を放任したことで、御家人の中には遊郭の借金で首が回らなく
なる阿呆が出る始末。
そこである作戦を考えた。

ある時駿府町奉行から、
「上様が遊郭の遊女の踊りを御覧になりたいので、上様の御前で選りすぐりの遊
女による踊りを披露せよ。」とお達しがあった。
数日後遊女たちは家康の御前で見事な踊りを披露し、家康は遊女一人一人に菓子
を自ら与えるほどの上機嫌ぶり。
そして、遊郭に帰ろうとする彼女たちに町奉行はこう言った。
「上様はそなたたちの魅力にメロメロになられたそうだ。そなたたちの内から上
様のお側仕えに何人か召し出されると思うので、その準備だけはしておれよ。
但し、この話は内密にな。」
この話を聞いてすっかり有頂天になった遊女たちは、早速客の御家人たちにその話
を自慢した。

それを聞いた御家人たちは、
「こんなに口が軽い遊女たちが上様のお側仕えになれば、俺たちの遊蕩も洗いざ
らい上様にばれるに違いない。」とすっかりブルッてしまい、その日を境に御家
人の遊郭通いはピタッとなくなりましたとさ。
(名将言行録)

2009年05月17日 | 戦国ネタ | コメント (16) このエントリーを含むはてなブックマーク

戦国トイレ事情

504 名前:sage[] 投稿日:2008/11/16(日) 18:08:54 ID:tvgfkUk8
戦国トイレ事情

鎌倉、室町時代に全数の影響により書院造りができたが、
トイレが雪隠と称し独立した部屋として造られはじめたのは戦国のはじめの頃だった。
雪隠というものは「孤独感」や「安心感」を得られる独特の居心地のよさがあり、
中には、雪隠を広めに造り畳を敷くなど、当時のVIPルームとして凝った造りにした武将もいた。

北条早雲は清掃を厳命し雪隠を清潔に保ち続けた。また、臭いを消すため香を焚いていた。
伊達政宗は巻物や書を携え雪隠にこもり読書をするのが好きだった。
嫌なことがあると雪隠に逃げ込むこともあった。
武田信玄は雪隠をとても気に入ったらしく、中で一日過ごしたこともあったという。
その際、部下に指示を与えるのも雪隠の中からだった。

その他、お尻に事情持ち(男色的な意味で)の武将たちも雪隠を愛用したという。
戦国武将にとっての雪隠は、単なる便所ではなく憩いの場のひとつだったのかもしれない。

2009年05月13日 | 戦国ネタ | コメント (23) このエントリーを含むはてなブックマーク

負けず嫌い

493 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/16(日) 11:36:55 ID:aq5AP9hL
負けず嫌い

関ヶ原の合戦での西軍の島津軍の敵中突破は有名だが、島津軍が福島正則の軍勢の側を
突破しようとした。
福島正則は、「島津このヤロー!!」と島津軍に攻めかかろうとしたが、島津軍の必死
の覚悟をみた重臣が、
「もう勝敗は東軍の勝利に決しました。今更、攻めかかっても意味ありません。それに
島津軍のあの形相を見てください。あの軍にいま攻め込めば我が軍は大損害を被りましょう。」
と必死に正則を止めた。
それを聞いた正則は「むむむ」と歯ぎしりしつつ、
「さりとて絶対に敵に後ろは見せたくない!」と言って馬上で体を180度ねじって、上半身だけ
島津軍に向けたのまま、その場から離れましたとさ。
(名将言行録)

2009年05月02日 | 戦国ネタ | コメント (14) このエントリーを含むはてなブックマーク

山本才助に仕えた三之助

457 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/15(土) 16:39:35 ID:JUL2/4z8
大阪冬の陣が始まろうという頃

杉野右馬允の家臣に山本才助という者がいたが、その才介の召し使っている老女に、
この年18になる、三之助という者がいた。この若者が、主人が出陣するのなら、
自分も是非連れて行って欲しいと、そう言って来た。

才介は「年老いた母がいるのだ、国元に居ろ」と言ったが、その母も

「武家に奉公している者は、戦の時は主人の共をして出陣するものです。私の事は心配せずに、銅か息子の願いを聞いてください。」

そう頼むので、従軍する事となった。
そして大阪に着き、合戦が始まった。大阪城から数百丁の鉄砲が、一斉に放たれた。
とたん三之助は、

逃げた。

初めての戦場と大量の鉄砲の音、緊張と恐怖でわけがわからなくなり、戦場から逃走したのだ。


故郷の屋敷に、ボロボロの姿で現れた三之助を見た母親は驚いた。
「もしや、ご主人が討ち死になさったかい!?」

「いいや、ご主人にはなんにもなかったけど、大阪城からの鉄砲の音を聞いて、天地が崩れるかと思って一目散にここを目指して逃げてきた。途中で金がなくなり、乞食をしながらやっと帰りついた」と、答えた。

母は最初の驚きが過ぎると、だんだん腹が立ってきた。
「お前のような者とは親子の縁を切る!これが今生の別れだ!」と、金を渡して屋敷を追い出した。

大阪冬の陣は、和議が成った。
杉野軍も国許に戻った。さて、母に追い出されて十日後、あの三之助がまた屋敷に戻ってきた。
母はまた彼を叱り飛ばし、追い出そうとしたが、屋敷に帰っていた山本才介がそれを聞きつけ、三之助を呼んだ。

「お前はどうして逃げたのだ?」

銃の音で怖くなって逃げた。その顛末を正直に話した。「追い出されたけど、どこにも行く所はありません。お手打ちも覚悟の上で戻ってきました。」

山本才介は何も言わず、三之助を元のように召抱えた。


さて、和議は壊れ、夏の陣が起こる。杉野家も出陣が決まった。

三之助はまた、従軍を願い出た。「また鉄砲が鳴るぞ?」才介は笑って言った、母も今度は強く反対したが、三之助は真剣だった。才介は、従軍を許した。


天王子、岡山での最後の決戦、山本才介と三之助、そしてもう一人の従者は、
城に引き上げようとしていた敵の騎馬武者三人に追いつき、攻撃を仕掛けようとした。
しかし城内から鉄砲を撃ちかけられ、従者が腰を撃たれ、斃れた。
残るは、才介と三之助の二人だけである。才介は勇敢に騎馬武者に向かっていったが
ついに取り逃がしそうになった。その時、

三之助の猟銃が放った弾が、騎馬武者の一人に当たり、落馬させた。

山本才介はその首を取り、見事、手柄を上げた。

冬に逃げた三之助が、それを許した恩に報い、夏に主人に手柄を上げさせた。そんなお話。

2009年04月25日 | 戦国ネタ | コメント (14) このエントリーを含むはてなブックマーク

信長と貧者

407 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/15(土) 00:33:25 ID:JUL2/4z8
信長と貧者


織田信長があるとき、自分と同じ年、月、日の生まれの人間を探させた。
すると、一人の男が見つかり、御前に引っ張り出された。
大変貧しい男であった。

信長はその男を見て、不思議そうに尋ねた。

「わしとお前は全く同じ時に生まれたのに、わしはいまや天下をつかみ、
お前は貧困に苦しんでおる。どうしてこれだけの違いが出来るのか?」

貧者は言った「いいえ、そんなに違いません。」

「なんだと?」

「たった1日の違いがあるだけです。」

「1日?」


貧者は言う
「はい、あなた様が富貴であり、私が貧困に苦しんだ昨日までは、既に過去の事。
私と信長様に、差があるのは、今日一日の事でしかありません。

そして信長様、あなたも、明日はどうなるか、誰にもわかりません。」


信長は一瞬苦い顔をしたが、思い直し、その貧者に褒美を与え、返した。


同じ時に生まれた信長と貧者の、なんだか不思議なお話。

2009年04月16日 | 戦国ネタ | コメント (25) このエントリーを含むはてなブックマーク
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