350 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 18:07:54 ID:bBShDXUK
淀の渡し
千利休は例の木像が不謹慎だとして突如失脚した。
びっくりした利休は細川忠興・芝山監物らに頼んで、必死になって弁明に努めるが、
監物がもっとも頼みとした蒲生氏郷にまで、「一笑一笑(もうむだだの意)」と断ら
れる始末。
堺の会合衆仲間住吉屋宗無・万代屋宗安も利休の手紙を無視し、あれほど利休の周り
に群がった人も,かかわりあいになるのを恐れて誰も利休に近づかくなった。
2月14日に秀吉は利休を堺に追放する。当然、時の最高の権力者から睨まれてまで切腹を命ぜられた利休を見送りに行く者はいなかった。
そんな中、淀の渡しに見送りにきたのは、細川忠興と古田織部のたった二人だけであった。
利休はこの2人に感謝をしてそれぞれに自作の茶杓を進呈した。
織部はこの茶杓に「泪」と名づけ、忠興は「ゆがみ(命)」と名付けた。
「泪」と「命」の茶杓はこれから先、利休の遺品として重宝されてゆくことになる。
参考1:竹茶杓 銘 泪参考2:茶杓 銘ゆがみ