気まぐれへっどらいん

  Hカップ以上の娘にありがちなこと 上級編

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戦国トップブリーダー

260 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/02(木) 00:45:06 ID:1ZwzHorE
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武蔵国、岩付城主、太田資正は大変な犬好きであった。居城である岩付城と、属城としていた松山城とに
五十匹ずつの犬を飼っていた。だが、城内でも場外でも、資正が犬とじゃれあっているのを見ると、
家臣も領民も、あまりに度が過ぎる「うつけ殿め」と、陰口を叩いていた。

しかし資正は気にもとめずに、何月かに一度は、岩付で飼っていた犬五十匹を松山城に連れて行き、
帰りがけにそれまで松山城で飼われていた犬たちを連れて戻って行った。

そんなある時、松山城が北条氏康に急襲された。

あまりに急なことで城は完全に包囲され、異変を知らせる使者すら、北条の忍、風魔の手にかかりり皆、殺された。
松山城は完全に孤立した。もはや開城しかないのか、城代たちがそう覚悟を決めようとしたとき、
資正から犬の世話を任されていた下人が、おずおずと言った

「殿様が、何かあればこの犬達を放せ、と言っておりました。」

何かはわからぬが、ともかくも城にいた犬を放ってみた。
すると資正の犬達は、まっしぐらに資正のいる、岩付城へと駆け出した。
風魔衆も、人は警戒していても、犬までは警戒していなかった。
犬達が駆け込んでくるのを見た岩付城の資正は異変を察知、すぐさま軍勢を繰り出した。
岩付城との連絡は取れないと、たかを括っていた北条勢はこれに驚き、慌てて囲みをといて逃走した。


大田資正の犬、その号を取って三斎犬。日本で始めての軍用犬の活躍、と言われるお話。

2009年02月06日 | 戦国ネタ | コメント (12) このエントリーを含むはてなブックマーク

山形城に天守閣がない理由

208 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/29(月) 16:25:55 ID:R70bDicL
山形城に天守閣がない理由。

五十七万石の大大名となった最上家。
ある日家臣と義光は城の庭を散歩していた。すると家臣たちが
「今の城は殿のおすまいにしてはあまりに手狭、
天守閣を築いて五十七万石にふさわしい城としましょう」
と盛り上がり始めた。
だが鮭様はむすっとしていて何故か話に加わらない。

数日後、天守閣を提案した家臣たちに鮭様から伝言が。
「おまえたちの気遣いはありがたい。
ここは平地にあるんだから、天守閣なんかつくっても防衛では
意味ないだろ? なのに工事とかしたら民が疲れるよ。
そんなことよりおまえたち家臣と領民を労ったほうが、
いざというとき役に立つんだ。だから、天守閣はいらない」
家臣たちは流石鮭様と感心したとか。
ちょっと信玄のエピぽいね。

かわりに鮭様は城下町にたくさん寺をつくった。
宗教施設でもあるが、軍事上重要な場所にあり、
いざ街を攻められたら城を拠点に戦えるような配置になっている。
実際、長谷堂合戦でもその戦略でハズレなかったわけだしね。

2009年02月03日 | 戦国ネタ | コメント (14) このエントリーを含むはてなブックマーク

四天王名臣録

36 名前:四天王名臣録 1/4[sage] 投稿日:2009/01/10(土) 21:28:38 ID:afOtHKON
元和8年(1622)、薩摩島津家の江戸藩邸を、直参旗本2名が訪れた。
「柳生新陰流・福町七郎左衛門および寺田少助、東郷重位殿との立会いを望む!」

将軍家指南役・柳生の門人と立ち会えば、勝っても負けてもカドが立つ。
家老・伊勢貞昌が応対して断ったが、薩摩にはそんなのキニシナーイ斜め上がひとり、いた。

「遠慮はいらん、討て! あ、いや・・・打て!」
島津家久(忠恒)の命で、61歳の重位は柳生の若手二人と立会った。勝負にならなかった。

福町は胸を袈裟懸けに打たれて動けなくなり、寺田は両手首をへし折られた。
二人はその場で、重位に弟子入りの誓紙を書いた。数日後、血を吐いて福町は死んだ。
(この誓紙、今も東郷家に保管されていると言う。)

「やはり、オレの示現流は天下一だったか!」家久は喜んだが、柳生の報復を恐れた重位は
貞昌の手配でその日のうちに薩摩に逃れ、二度と江戸へ出ることはなかった。

薩摩から出れぬ身となったが、坊津の代官も兼ねる重位は地元で悠々と晩年を過ごした。

ある夜、詰め碁に集中していた重位の屋敷の近くで、野犬が集まって騒いだ。
「うるさいのう。お前、行って斬って来い。」重位は嫡男・重方に野犬退治を命じた。

戻って来た重方は、野犬を斬った刀を見せ、刃こぼれしていないのを自慢した。
重位はため息をついて、立ち上がった。

「お前はまだ、当流の意地が分かっておらぬ。見よ、これが示現流じゃ!!
チェストォォォォォ━━━━━━━━━━━━!!!」

重位はかたわらの碁盤に斬りつけた。刀はボロボロになった。
ただし、その一撃は硬い碁盤を断ち割り、畳を斬り、床下の根太まで食い込んでいた。
2009年01月24日 | 戦国ネタ | コメント (15) このエントリーを含むはてなブックマーク

竹中半兵衛のちょっと良い話

372 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/18(木) 10:05:13 ID:pzR6Zbmo
竹中半兵衛のちょっと良い話 ~智将半兵衛その人~

智将として名高い竹中半兵衛。もちろん戦国の当時
でも、その評判は高かった。特に半兵衛の陣立ては
素晴らしく、他の武将の陣立てにも積極的に助言した。
だがあまりに口を出しすぎるので、半兵衛の助言を疎
ましく思う者も居た。
ある時、「今日こそ半兵衛に口出しさせるか!」と
息巻く武将がいた。そこに訪れた半兵衛、陣立てを
見るなりこう言った。
「なんとも素晴らしい陣立てですね。感服いたした。」
と、その武将を褒め称えた。半兵衛に褒められて悪い気
はしない。すっかり和気あいあいとなった頃、半兵衛は
言った。「ここを少し変えて見ましょう。もっと良い
陣形になりますよ。」と言った。気を良くしていた武将
は言われるまま、陣立てを変えてしまった。後になって
その武将は「しまった、半兵衛にしてやられたわ。」
と笑いながらぼやいた。


374 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/18(木) 10:22:57 ID:pzR6Zbmo
竹中半兵衛のちょっと良い話 ~武人半兵衛その人~

半兵衛は時折、手足をぶらぶらさせる癖があった。
秀吉や他の武将、果ては客人の面前でも、その癖
を直そうとはしなかった。
ある時、その癖を見咎めた武将が「無礼であろう!」
と怒った。だが半兵衛は平然と答えた。
「これはいつ敵に襲われても、すぐに身動きが出来る
様に備えているのです。もしその時、手足が痺れて動作
が遅れれば、大事となりますから。」
わずか十六人の手勢で、稲葉山城を落とした武人の言葉
に「さすがは半兵衛殿。武士とはかくあるべし。」
と、怒った武将もこれに納得した。

2009年01月13日 | 戦国ネタ | コメント (25) このエントリーを含むはてなブックマーク

出世の白餅

400 名前:出世の白餅(一)[sage] 投稿日:2008/12/19(金) 21:46:17 ID:cg67r90c
「亭主を呼べぇ!!」
三河吉田の旅籠亭主・彦兵衛が、大声で呼ぶ客の部屋へ向かうと、薄汚い若侍の前に
たくさんの餅が広がっていた。

給仕に当った女中に聞くと、侍は好物だからと餅を山ほど注文したがその餅の出し方が
気に入らぬと言って、皿をひっくり返したのだと言う。

若侍「客に出すのに、雑な山盛りにして出すとは何だ?普通ならば、漆塗りの盆に丁寧
    に積み上げて、持って来るものだろう?!最初から出し直せ!!」

十八から店を預かり二十年目の彦兵衛、慣れたもので皿に三つほど餅を乗せ直すと、

「それは失礼致しました。しかしこの餅の盛付けは、三河ではお武家様のための盛付け
で、『城持ち』と『白い餅』を掛けて、山のように大きい城の城主になれるように、との私ど
ものせめてもの心遣いでございます。どうかお納めください。」

と言って若侍に勧めた。
「そうか、そんな謂われが・・・それは済まなんだ。では、喜んでいただこう。」

以外にも若侍はあっさり納得して、餅をガツガツと食い始めた。
その様子に長年のカンからピンと来た彦兵衛は若侍に話しかけた。
「ところでお侍さん、  ・・・金が無いんでしょう?事情だけでも話してみませんかね?」

顔を青くして餅をむさぼる手を止めた若侍は、少ししてポツリポツリと語り出した。
2009年01月06日 | 戦国ネタ | コメント (17) このエントリーを含むはてなブックマーク
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