気まぐれへっどらいん

  Hカップ以上の娘にありがちなこと 上級編

このヘッドラインはNEWs保存道場が気まぐれでお勧めブログを紹介してます。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

巧すぎる絵師の宿命

78 名前: 四十代(東京都)[] 投稿日:2008/09/06(土) 18:35:16.05 ID:kb9fMQ7A0
「巧すぎる絵師」の宿命としての真田幸村のトラブルとは対照的に、こんな心温まるエピソードも
残っている。
 「花の慶次」に登場する徳川家康の外見が勝新太郎をモデルにしていることは有名であるが、
あるとき知り合いの演歌歌手の誕生パーティーに原が出席したときのこと。原が隅で料理を
つついていると、ホールの向こう端から全身白のスーツ姿にサングラスをかけた小太りの男が
つかつかと歩み寄ってくるのが見えた。誰あろう、その恐ろしげな風貌の人物こそ、かの勝新
その人であった。
 勝は原の目の前に立つと、原の胸を、どんとひと突きした。「―――殴られる。」原はそのとき、
そう直感したという。原は勝に無断で、肖像を拝借して作中に徳川家康を登場させていた。真田
幸村の一件が頭をよぎる。しかし。勝はサングラスをはずし、ぐい、と原に顔を寄せると満面の
笑みを浮かべこう言った。「おめえ、絵が巧いんだな。」それだけ言うと勝は手を振りつつ去って
いったという。
 数ヶ月して、原のオフィスに一本の見事な長唄三味線が届いた。紫檀製の胴には見事な綾文
(鑿で内面に彫られる模様細工)、既に昨今では珍しい本皮張りに、象牙の撥(ばち)。時価に
して数百万になろうかという逸品である。それは、三味線職人の次男坊である勝新太郎ならで
はの、原の作画に対する素直な評価、粋な贈り物であった。原は以後この三味線を何度も
作品中に登場させ、前田慶次に弾かせている。

2009年07月14日 | いい話 | コメント (25) このエントリーを含むはてなブックマーク

微に入り細を穿つ

365 :おさかなくわえた名無しさん:2009/06/28(日) 08:35:01 ID:XrvfKuRS
生け花習ってる外人女性と知り合いなのだが、

「生け花はルールが難しい、
ここまで角度や長さを制限される意味があるのか?と理不尽に思う。
しかし、出来上がりを見るとルールには意味があって計算されつくしているのがわかる。
このルールを作った人はスゴい」

と、英語まじりのかたことで言われた。
その人は結構おばちゃんなんだが、なんか好きになった。


374 :おさかなくわえた名無しさん:2009/06/28(日) 10:38:25 ID:nldypBqd
>>365
生け花もそうだけど、茶道や武道にも細かい決まりごとや
道具の色や形、所作の一つ一つに意味や理由があるんだよね。
もれを適当にやってしまうと、全部が駄目になってしまう。
ある程度まで深く、その道に踏み込んだ人にしか分からないことなんだけどさ。

そういえば、ドイツに土俵をつくりたいからってんで、相撲協会に
土の成分や土俵のつくり方を問い合わせてきた話を思い出した。

「神の宿る“完全なる土俵”を作りたいのです。費用は当方が負担します」
との強い要望で、相撲協会から行司が一人、ドイツに派遣されたとか。
日本人と同じ凝り性なドイツ人らしいと笑ったけど、酒だの塩だの
ちゃんと用意して「神域を作る」って心構えを持ってくれてたのには和んだw

「普通は美術であれ、あるいは音楽や文学であれ、あらゆる芸術で
優先されるのは、いつでも作品‘全体’の価値である。
だから、たとえ‘神は細部に宿る’ことがあったとしても、その
‘細部’は最終的には‘全体’に統合されなくてはならない」
(アビ・ヴァールブルク ドイツ人 美術理論家、図像学の創始者) 

ドイツ人と日本人が相性がいい理由、何となくわかる気がする。

2009年07月04日 | いい話 | コメント (15) このエントリーを含むはてなブックマーク

こんな自分嫌い

660 癒されたい名無しさん sage New! 04/10/28 00:13:20 ID:8iKtAvol
色々な事が重なって、友達に「死にたい。こんな自分嫌い」とうざいメールした。
夜中だったし絶対寝てると思ったら五分後、
「何があったか知らないけど、私の好きな人の事を嫌いとか言わないでくれる?」
と返事がきた。まじめに嬉しくて涙がでた

2009年06月28日 | いい話 | コメント (35) このエントリーを含むはてなブックマーク

失礼ですが、飼い主様ですか?

695 :おさかなくわえた名無しさん:2009/06/26(金) 13:35:44 ID:ttxXJx/C
昨日、動物病院にうちの犬を検診に連れてった時のこと。
若い兄さんがボロきれ抱えて入ってきた。よく見ると犬っぽいが、
犬種や元の毛色も判然としないくらい汚れていた。

「すいません、この犬怪我してるみたいなんで診てもらえますか」と受付に。
「診るのは構いませんが…失礼ですが、飼い主様ですか?」
「いえ、道端で見かけただけの者です」
「そうですか。心苦しい話ですが、診察には費用が伴います」と
受付の人が言いにくそうに伝えると、
「構いません。行きずりで困っていればそれが犬であれ、見捨てる訳にはいきません」

きっぱり言い切った。もうすごい男前だった。待合室にいた数人から感嘆の声が上がった。
うち一人の爺さまが受付に近づいていって、
「あなたは犬好きの鑑だ。その心意気に私も加えて貰えないか」と費用折半を提案。
兄さんは困惑してたが、我も我もと名乗り出て、結局待合室にいた人+病院で出し合う形に。

「もしあの犬が気に入ってくれたら、面倒みたいと思ってます。」
「勿論、全ての野良犬にこうしてあげる訳にはいかないけど、自分の手の届く範囲でなら
出来るだけの事はしてやりたい」
診察を待ってる間、そんな事を話していた。
非常識な飼い主もいるが、一方でやはりこういう人もいるんだなあと嬉しくなった。

2009年06月28日 | いい話 | コメント (31) このエントリーを含むはてなブックマーク

ドナルド・キーンが京都に留学生として下宿していたときのこと

82 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 21:58:54 ID:jw9CNX+/
ドナルド・キーンが京都に留学生として下宿していたときのこと。

「或る晩のことです。十五夜で、それはそれはきれいな月の晩でした。私は大学からの
帰り途、その月を見上げて惚れ惚れしながら京都の町を歩いておりました。」

キーン博士は思ったのだそうだ。こんな月の光に照らされた竜安寺の石庭はさぞ美しかろう。
是非見てみたい。博士はその足で竜安寺へ向かった。当時(大戦前)の京都の寺はいずこも
終日門が開いていて、人の出入りも自由だったという。

「私は竜安寺の門をくぐって本殿に入り、あの有名な石庭を前にした縁側に座り込みました。
月光に照らされた石庭の美しさ。私はしばらく身動きができませんでした。三十分、いえ
小一時間ほども私はぼんやりと庭を眺めていました。もう十分すぎるほど石庭に見惚れた後です。
ふと傍らへ目をやると同時に私は驚きました。いつの間にか私のそばに、一杯のお茶が置いて
あったのです。誰が?いつの間に?どうして?想像するしかないのですが、おそらくお寺の誰か
だったのでしょう。外国人の若い学生が石庭に見惚れているのを見て、邪魔をしないように、
そうっとお茶を置いていってくれたのです。私は、とても感激しました。」

こんなもてなし方ができる民族は日本人だけだ、と博士は思ったそうである。

「そして、だからこそ私は日本のことが大好きになりました。」

2009年06月27日 | いい話 | コメント (33) このエントリーを含むはてなブックマーク
Sponsored Link
Information

師範

テレビであまり報道されない
ニュースをまとめる事が多いです。

面白いブログを教えてください!
自薦・他薦は問いません。
   ↓↓↓↓
 メールフォーム

Creator Website
Link
  • 管理者ページ
  • ROG
     
    Ranking
    Web Counter