112 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 15:12:57 ID:TrNfwQDq
うちの親父は軽い知的障害を持っていた。早くから職人として
修行を積んできたので稼ぎはあったが、普段の生活がトロい。
お袋はそんな親父と幼い俺を捨てて家を出た。
親父は俺を溺愛して一生懸命に育ててくれた。親父の怒った顔は
見たことがない。大好きだったけど、思春期が始まった頃からは
親父のトロさが嫌で嫌で、鬱陶しくて堪らなかった。
中学2年のある日、弁当を持参する日に親父が弁当を作ってくれた。
みんなパンとか買っていくので俺もそのつもりだったけど、起きたら
親父が嬉しそうに弁当作ってた。正直鬱陶しかった。しかもできあがった
弁当を、小一のときの俺に見せたのと同じ笑顔で「ほら、お弁当だよ」と
見せた。俺は朝飯を食いながら「ああ」と気のない返事をして、醤油を
取ろうと手を伸ばしたら、その手がぶつかって弁当が床に落ちてしまった。
わざとぶつけたのかも知れないが、真相は覚えていない。
親父は子供のように「○○のためにつくったお弁当が落ちちゃった!」と
パニックになった。正直鬱陶しかった。無言で家の財布から500円を抜いて
「これでパン買うから」とそのまま家を出た。
その後、大人になって社会に出て、結婚して子供ができて。時間が経つに
連れて親父の優しさ、ありがたさ、そして思春期のときに取った態度への
後ろめたさが大きくなっていった。俺に子供ができたとき、親父は赤ん坊を
抱きながら何度も俺の名前と間違えて呼んでいた。
そんな親父があっけなくガンで死んだ。死に際、意識を取り戻して俺の顔を
見ると、俺の手を取って「ごめんな、ごめんな」と謝ってばかりいる。絶対に
言って欲しくないと思っていたら、案の定、親父は「お弁当ごめんな」と言った。
俺は涙と鼻水で息が詰まりそうになった。横では女房が自分のことのように
鼻を垂らして泣いていた。それを見て、こいつは一生大事にしようと思った。